奄美大島『野鳥三昧』
旅行で感じたこと

■奄美の文化
南西諸島は、石垣島から奄美大島まで広範囲にわたる。
琉球王朝の支配下にあったが、江戸時代初期、家康の承認を得て「琉球征伐」が起こされる。

奄美大島は、琉球支配を快く思っていなかったそうで、事実上の「無血開城」し、薩摩藩領地に組込まれている。
薩摩は、奄美大島を足場に琉球侵攻をしている。実質上、琉球を支配下に置くが「薩摩領」にはしていない。

薩摩の支配受ける時期は、ほんの数ヶ月しか違わないが、文化的にはかなり違ったのではないか。
奄美大島の方言は「翻訳」がないと分からない。ただ、琉球や薩摩弁との違いも私には分からない。

一番「違い」を感じたのは『墓の形』です。
沖縄のお墓は琉球墓と呼ばれ「家の形」をしている。家の中に一族郎党が入る形式です。この形式は今でも変わっていない。
それに対し、奄美大島の墓は「普通に日本の墓」です。
私の思い込みかも知れませんが、墳墓は民族のアイデンティティーだと考えます。
南西諸島の奄美大島。南西諸島では異質だったのかも知れません。

■教会
キリスト教伝搬ルートの最初の地点が奄美大島だそうで、この教会が「我国最初の教会」建立の地だそうです。

奄美大島は人口過密ではありませんが、各地でキリスト教会に出会いました。江戸時代の「キリスト教弾圧」この島ではどうだったのでしょうか?

島津家は、搾取には貪欲だったと思いますが、禁制に関しては大らかだったのではなかろう?そんなkがします。

■世界遺産登録
奄美大島の世界遺産登録を巡り、島民の意見が真っ二つだそうです。
私が口を出すことではないですね!