岡崎と伊勢の旅
旅行日程
ふるさとに住む甥の結婚式に出席するため、2泊3日の旅行です。

 2月13日(金)
 曇り・寒波襲来中


和歌山を出発し、阪和道~近畿道~第2名阪~京滋バイパス~名神~新名神~伊勢湾岸道路と乗り継いで、280㎞の走行です。新名神通過では「雪」が懸念されたのですが、小雪で通過できました。

最初の目標は「岡崎中央公園」です。ここで探鳥をするつもりでしたが、ただ寒いだけで野鳥もあまりいません。早々に引き揚げたのですが、灯篭の散策道は見事でした。愛知県で生まれ育ちながら知らなかったのですが、岡崎は御影石の産地だそうで、かつては「石工の町」でもあったそうです。散策地には、各時代各地の灯篭が置かれていました。

池のほとりに建つ「岡崎美術館博物館」。栗生明氏の設計だそうで、見事に風景にマッチしています。
ただ、近くに行って入る気がうせました。
階段とスロープで構成されたファサードは「身障者を寄せ付けない」デザインです。
小さなサインボードに「障害者は係員をお及び下さい」とある。障害を持つ人が、自分だけで訪れるのは不可能な構造と見ました。
どんな名建築でも「優しくない建物」は好きになれない。

探鳥をした後、岡崎城に隣接するホテルにチェックインしました。
。「五万石でも岡崎さまは、お城下に船が着く」と歌われたお城です。矢作川と菅生川(現:乙川)を運が結び、奥三河への水運の要所を押さえていた。

天守を見学後、乙川湖畔を散策。ホンマに寒かった。
菅生神社にもよりました。かつて、大阪狭山に住んでいたころ、ここにも菅生神社があったからです。
神主さんにお伺いしたら、日本武尊(ヤマトタケル)の尊に所縁ある神社で1900年の歴史を誇るそうです。ちなみに、日本には、大阪と岡崎に菅生神社があるとのことでした。

夜は、姉夫婦と会食しました。久しぶりのことで、楽しいひと時でした。

岡崎美術館博物館

灯篭の散策道

岡崎城天守閣

菅生神社

 2月14日(土)晴れ

今日は甥の結婚式。
婚活を2年続けて「花嫁」を射止めたそうです。やはり、結婚には「努力が不可欠」のようです。

式も披露宴も年々様変わりのようで、私にはカルチャーショックでした。
ビジュアルに力を入れた演出で、カメラマンだけでも4人もいました。オープンキッチンだそうで、調理風景を公開し、チェフも時折に披露宴していました。

何よりも「姉の嬉しそうな顔」が素晴らしかった
それでは、披露宴の料理をご紹介します。
たっぷり食べたのですが、最後のデザートは「ケーキバイキング」これも演出なのでしょうが、つい欲張って大変でした!

前菜

トリュフ

ムラサキ芋のスープ

魚料理

口直しのシャーベット

肉料理

デザート
披露宴を終えて、伊勢へ向かいました。途中、津で高速を降り「安濃川河口」へ探鳥に。
時間的には日没までの1時間半ほどでしたが、こちらは「探鳥を堪能しました。野鳥写真は別のメージで纏めます。

安濃川河口(中洲の野鳥がいっぱいいました)

安濃川河口付近(伊勢湾側)
この日は、伊勢の二見が浦で宿泊でした。
 2月15日(日)晴れのち曇り
早朝から夫婦岩へ。
夫婦岩を見るのは、小学校の修学旅行以来(57年ぶり)です。流石に修学旅行はもうないだろうと思いますが、往時をしのぶ「巨大な木造旅館」の街並みが残っていました。

朝食後、伊勢神宮内宮へ。
ここも15年ぶりの訪問です。昨年「式年遷宮」があったばかりで、真新しい建物が目立ちます。
遷宮は「橋の架け換え」から始まり、正宮が出来たところで「遷宮の儀式」が行われる。
その後、数年かけて境内の建物が作り変えられていくそうです。
境内の敷き砂利は水が打たれ、清冽な雰囲気が漂っています。

自他ともに「思想は右翼」を自認するだけに、境内に入ると、実も心も引き締まります。私は思わず涙が出ていました。ここは「日本の心のふるさと」です。

五十鈴川は今も清き流れですが、トレビの泉と勘違いする輩がコインを投げ込み、折角に清さが台無しです。

正宮

御稲御蔵2棟

荒祭宮(左側が遷宮用地)

真新しい建物。まだ名前の表示がなかった

3ヶ月前にできたばかりの別宮・風日祈宮。茅葺の美しさがよく分かる
境内の建物は、どれも基礎を持たない「掘立柱」で作られている。釘も使わず、白木の美しさが引き立っていた。
敷地の半分を使って建てられており、残りは遷宮用地である。20年ごとに左右で建替えられる。一時は輸入に頼っていた用材も、最近は国内で、それもかなりの部分がご用地から調達できるまでに回復してきている。
日本で最も美しい様式が、何時までも残ることを祈るばかりです。