沖縄本島「初の探鳥」
11月11日
沖縄旅行も最終日となりました。
この日も6時に起きて、チェックアウトの準備をして、車に荷物を積み込んだのが6時45分。
朝食は7時からとなっていましたが、レストランへ降りてみたら、もう満席に近い。入り口に脇に席を確保してバイキング料理に臨んだのですが、あまり食欲がなく簡単に済ませた。レストランを出ると、長蛇の列が出来ていた。どうやら、中国からの団体客のようだ。
7時を過ぎた頃にホテルを出発。
目的地は首里城です。途中で気付いたのですが、沖縄の3名城の一つ「中城城」がホテルから2kmほどにありました。少しくらいなら、寄れたのにと残念でした。
高速道路那覇ICを出れば、首里城は近い。有料部分(宮殿)を観光できるのは8時半からで、まだ40分ほどありました。
お陰で、宮殿の門が開く際の儀式を目撃することが出来ました。


25年前も首里城へ行ったのですが、大東亜戦争で焼失した首里城の復元工事が始まったばかりで、守礼の門が落成する前でした。いまも工事は続いているそうで、すべて完成するには「後5~6年掛かる」そうです。

13世紀の沖縄は群雄割拠の時代で、それを統一したのが首里に城を持つ一族です。
当時は那覇港が「国際港」として繁盛しており、その財力がものを言ったのでしょう。

中国の明・清王朝と朝貢貿易をし、琉球王は中国から冊封(臣下の令を取り、地方の王様と認めてもらう)されていた。薩摩の支配下にあっても冊封体制は続き、明治新政府によって琉球王朝は消滅した。この当たりは、かなりの「恨み節」で語られます。

冊封を受けることは属国を意味する。琉球はずっと独立国だったというのは「建前」に過ぎない。今度の旅行で「中国の支配下に戻る」のを、望んでいるかのような発言を施設職員(公務員)から聞いた。せめて『独立』にしてほしいね。

いよいよ帰る時がやってきました。
那覇空港でサンドイッチの食事を取り、10分遅れのフライトでした。
  那覇空港12:00ANA1734便
関空樋着は14:05。和歌山へ行くバスは1時間1本に減り15時までない。

和歌山到着後、修理に出していた車を受け取り自宅へ。予想通り、家の中はデングリ返っていました。ヤマトは「寂しかった」と猛アピールです。こうして「日常」へ復帰です。