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歩いて暮らせる街づくり構想
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私は愛知県碧南市生まれ。
愛知県の中ほど海沿いの小さな町です(碧南市ホームページ参照)。
小渕内閣の時代、国が経済新生対策として打ち出した
「歩いて暮らせる街づくり」構想のモデルプロジェクト地区に、碧南市の大浜地区が選ばれました。
この構想は少子・高齢社会を控え、安心・安全でゆとりある暮らしを実現するため、会社・商店街・医療機関・学校・文化・娯楽施設などが混在する住民主役のまちづくりを進めるもので、碧南の大浜地区を含め全国で20地区選定されました(その後拡大されている)。
大浜地区は---港の町・寺の町・蔵の町・路地の町---等の古くからの佇まいに、古路が通り「生活と伝統的な生産が共生混在」して『昔ながらの町並み』を残しています。
この大浜地区固有の風土を生かしながら、全国のモデル地区となる街づくりを地域住民と行政が共に考えていくというものです。


碧南市企画課から頂きました情報では…
・選定された地区には、今後の関連事業に国から重点的な支援が受けられます。
・平成12年度においては、大浜地区の調査と整備計画の策定を行います。
◎対象地区 名鉄碧南駅以西52ha/ 本郷町、浜寺町、中町、音羽町、築山町の全域及び羽根町1〜3丁目、錦町1丁目の一部
ただし、今後の調査等により対象地区は一部変更することもあります。

生まれ育った町内が、味わいを残しながら発展と保存の両立を目指すことを祈っています。当rootsで紹介した写真は奇しくも指定地区のものばかりです。何時か、詳しく取材に行きたいと思います。なお、碧南市HP観光欄「歴史」に、指定地区にある古寺などが紹介されています。是非ご覧下さい。

ふるさとはこんなとこ
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愛知県 碧南市/大浜地区
http://www.city.hekinan.aichi.jp
港、寺、蔵、商店など生活と伝統的な生産が混在する港町において、地域の文化的、歴史的な遺を活用しつつ、少子・高齢化等の課題に対応する取り組みとしてモデルとなることが期待される。まちづくり推進協議会により市のまちづくり整備基本構想の提言がなされるなど、市民参加による街づくりの意識が高まっており、今後の展開が期待される。

碧南市HPの下記URLに町並みが紹介されています。日本人が忘れてしまった「たひなびた風景」を発見できます。
http://www.city.hekinan.aichi.jp/komiti00.htm


大浜
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大浜は「寺町ウオーク」と銘打ってお寺を巡る企画がなされたほど、小さな町になのに神社仏閣が多いのです。ここは本能寺の変を逃れた徳川家康が、伊勢湾を渡り逃れついた港町「大浜」です。戦国時代は国際貿易港として栄え、徳川家の懐を潤わせました。では、ご案内します。
山稲荷神社(左)
子供の頃は「山稲荷さん」と呼んで親しんだ場所です。当時は、広場に祠だけがあり「格好の球戯場」でした。海辺に「山稲荷」とは不思議な名前ですが、海を浚渫した土砂を「山のように積んだ場所」からこの名がついたようです。
ここに、「白蛇石」がありました。(右)
ちょっとウソ臭いね!

写真上:
路地奥に見える
寶殊寺
豊臣秀吉の朝鮮出兵の折ここで船が作られた。
写真左:寶殊寺山門越に見える「海徳寺
写真左下:海徳寺山門
写真右:海徳寺本堂

この寺には、織田信長の逆鱗に触れ切腹した「家康の長男・信康」に殉死した「一色氏」の墓がある。
氏神様「大浜神社
ここの祭礼には、山矛が出て「からくり人形」による舞が奉納されます。当HP「歩いて暮らせる街づくり」の「ふるさとの祭り」で詳しく紹介しています。是非ご覧下さい。
この神社の御神体は「白蛇」です。
年男はこの社に「おこもり」をするのですが、私の父を含めて「白蛇を見た」と言う長老が大変多いのです。

名前が思い出せない…

本伝寺

称名寺
この他、三河一向一揆の本拠地となった「西方寺」や実家の墓がある「淋泉寺」など実に多くあります。少し視線を変えて「歩いて暮らせる街づくり」に選ばれる所以である「路地」をご紹介しましょう。
如何ですか?何処が道路境界線だか「さっぱり分らない」家並みが続いています。そのくせこんな路地にも下水道が完備している不思議な文化都市です。
左:この街は、古くから「醸造の街」でもあるのです。今も「醤油蔵」が建ち並ぶ風景が残っています。

右:港に繋がる運河沿いに昔の商家が並んでいます。蔵造りの家で、きっと倉庫も兼ねていたのでしょう。
街中を貫く運河。
低地帯の排水を行うため、街中を貫く形で作られました。海の干満を利用して排水を行う「生活の知恵」でしたが、今はもう使われることもなく、すっかり汚くなってしまいました。

父に聞いた話によれば、かつては清冽な海水が流れ「ボラ」をはじめ、海魚が掴み取りできたそうです。

散歩を終えて帰ってきたら、バーベキューの用意がすっかり出来ていました。
年に数回開かれる(今年はこれで2回目)そうで「特に決まっていない」そうです。会費などと言う野暮なものはなく、それぞれが適当に持ち寄り開かれるそうです。

この日の参加は6家族で「ちょっと少ない」そうです。
私は「ビール1ケース」を持って参加させていただきました。次姉夫婦も、昨夜釣りに行っていた旦那が『釣果』を持って参加しました。
それではご案内します…
左:山菜のてんぷらを揚げるレナード君(姪の旦那=レナード君は人気者)と兄嫁様です。私の末っ子など、その人柄のよさにいっぺんでファンになっていました。
右:持ち寄られたおにぎりに生野菜(手製の味噌を付けて…美味かったよ!)
如何でしょうか?!
何の説明も要らなくて、楽しい雰囲気が伝わってきます。
『歩いて暮らせる街づくり』について、水を向けてみました。この生活が「当たり前」過ぎて、実感がないそうです。
そうだろうな…
だからこそ「歩いて暮らせる」街なのだろうと私は頷いてしまいました。ここでは、大工さんがボランティア組織をつくり、格安でさりげない町並み保存が行われているそうです。大阪暮らし35年。失われたものが「いっぱい残っている街」でした…

ふるさとへの旅
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021019-20とふるさとへ行ってきました。
目的は、友人に「ふるさと自慢」をするためです。まず「何処よりも美味しい鰻料理」を満喫し、翌日は「歩いて暮らせる街づくり」のイベントに参加するためでした。

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午後から、友人と5人でふるさとへ向いました。天候は雨!明日のイベントが心配です。この日の目的は「鰻を賞味する」ことです。お店は「小判天」で、6:30に予約を取っており、全員「満を辞して」の挑戦です。酒をそっちのけで、まあ「食べること!」 ふるさとの鰻が最高であることを、体験によって認めてくれました。
追記
ふるさとは50年前から「人口6万人」
代わり映えがしないのですが、今では「裕福な自治体・全国第3位」で、地方交付税がいらない自治体です。びっくりするほど立派な市民病院を持ち、何千万もする彫刻が「街角を飾る」街です。市内循環バスは「無料」という裕福さですが、ホテルだけはろくなものが無い。
私達が泊まったビジネスホテルも「田んぼの真中」にあり、トイレ洗面浴室が共用で、畳み部屋にセルフで布団をひいて雑魚寝です。5人で二部屋借りて、素泊まり(合計)19500円。ホテルだけは「不作な街」です。


021020
天気予報は2重丸の『雨』でしたが、晴れ男の一念が通じて「曇りがちの晴れ」となりました。
朝6時に天候を祝うかのように花火がありました。ホテルのマネージャーも「良かったねすね!」と言ってくれました。
9:00にチェックアウトして、イベント会場へ。駐車場探しに苦労するも何とか確保。やっと「モーニングサービスの朝飯」に有り付く。イベントを祝って、何と「1人200円」
10:00イベント開始。
人口6万の街で「この人手はどうだろう」と思うほど参加者が多い。サークル活動の盛んな街だが、どうやら総出で参加といった様子です。
あるボランティア氏によれば、碧南市が「気象庁へ2億円払って天候を変えた」そうです(一同大笑い!)。

イベントは名付けて「寺町ウオーキング」
サークルや子供たちが、寺に会場を設けて訪問者に、様々なテーマで研究発表をしていました。

九重味醂の倉庫と工場

カネニ味噌の倉庫と工場群

西方寺本殿の鬼瓦と弥陀の松

称名寺の石垣
イベントの多くに、様々な「振舞い」がついています。
山稲荷社では、矢作川の砂地で取れた「臭みの無いしじみ」と、カネニ味噌の「豆味噌」で作られた「しじみ汁」が振舞われていました。素朴ですが、余りの旨さに舌鼓。何とか、この味噌が手に入らぬかと、ボランティアのオジサンに入手法を相談していたら、何とカネニ味噌の社長が「ひょこひょこ」とやってきました。教えていただけなければ絶対に気付かない「ただのオジサン」ですが、お話しをさせていただくと「やっぱり社長や」と思わせる雰囲気があります。無理を言って事務所を開けていただき、味噌桶(パック詰めではないのだ!)から分けていただきました。

魚市場では「カニ汁」が振舞われています(写真右=順番を待つ行列)。この地方でふんだんに取れる「渡りガニ」を味噌仕立てで汁にしたものです。これまた絶品で、どんぶり鉢ほどのスチロールの器に「渡りガニが1匹」凄いでしょう!

この日、腹に収めたもの(一部は格安の有料)はこのほかに…
こんにゃくの味噌田楽/五平持ち(味噌仕立て)など、流石は味噌王国ならでは料理です。更に、ホタテ醤油焼き/赤米の汁粉/鬼饅頭(サツマイモの蒸饅頭)/甘酒/小豆の汁粉
ビールが1缶200円で、飲んだことはいうまでもありません。
もっと、ふるさとの歴史を紹介するつもりでしたが、みんな目の色を変えて楽しんでおり「それどころ」ではありませんでした。もう少し「路地の文化」を見て欲しかったのですが、イベントとは別のときの方が良かったようです。

最後は、魚屋さんで「揚ったばかりの魚」を購入しました。勿論「臭みのいないしじみ」もです。
2時でイベント終了。車に帰って5分後に「雨が降出し」帰路は土砂降りでした。
「もう、かまへんデ」と私は雨空を眺めていました。楽しい「ふるさとへの旅」でした。

ふるさと自慢余話
040811 aruitekuraserumatutukuri
八幡和郎著「江戸300藩・県別うんちく話」(講談社+アルファー文庫)を読んで、よくもまあ「これだけ調べられるもんだ」と驚いてしまいました。江戸時代は300藩に分割統治されていたわけですが、同書を読んでいくと「徳川譜代による寡占化の歴史」であったことが分かります。次々と養子を送り込み、同族支配を固めています。300藩と言えども「氏素性」で分ければ、せいぜい50家くらいです。

当然「我ふるさとは?」と興味がわきます。同書によれば、江戸時代は碧南市西端に徳川幕府譜代の「本多氏」が西端藩1万石の陣屋を構えていたそうです(ちなみに本多1族で30藩ほど)。この本で初めて西端陣屋の存在を知り、碧南市の公式HPを含めサイト検索をしたのですが、内容が分かりません。昔から西端は碧南の中心から外れており、江戸時代の経済中心地は「大浜=私の生まれ故郷」であったように思います。そこで碧南市に照会したところ、碧南市文化振興課碧南市史資料調査室田澤様から「若干資料があります」とお知らせを頂きました。8月11日に、碧南市史資料調査室をお訪ねしたところ、碧南市文化保護審議会委員・石川繁治先生もご同席くださり、資料だけではなく「貴重なお話」も伺うことが出来ました。
資料に目を通し、伺った話を含めて整理には時間もかかりそうなので、今日はさわりだけをご紹介しようと思います。
ルーツを探して
毎年お盆になると、私くらいの歳の方が「ルーツを尋ねて」史資料調査室を訪れるそうです。昭和22年生まれだと申し上げたら、石川先生から「まだ若い!これからだ」と言われてしまいました。
1871年の廃藩置県からまだ130年ほど。
なのに、西端陣屋の場所さえ不明確で「何にもない」そうです。碧南にはもう一つ「大浜陣屋」があったそうで、こちらが実質的に機能していたようです。私が「大浜が中心だったはず」と感じたことは当たっていた分けで、案外、庶民感覚が的確な歴史を知るようです。流石の八幡和郎氏もここまでは調べられなかったみたいですね。
古地図が次々に出され、昔の地形を見ながらお話を伺いました。
碧南市は、矢作川による「自然な干拓」で出来上がっています。奥三河「足助」に端を発する矢作川は、良質な砂を大量に発生させ台地を作り続け、あわせて流域に経済を発展させました。今では「何で?」と思う内陸部の岡崎城下まで、水運があったと唄われています。ところが、現実は更にずっと奥地の豊田まで川舟による水運が行われていたそうです。
「大浜」の地名の由来をお尋ねしました。
全国に「大浜」はたくさんあるのですが、意味は同じではないそうです。前項で述べたように、水運で集積された物産が「海運で全国に運ばれる」あるいはその逆を辿り「地域経済を支える」そんな基地として矢作川河口が存在したそうです。この「海と川」を結ぶ港が『東西南北の浦」となっていたそうです(現在は、地名として「東浦」が残っている)。その「東浦・西浦・南浦・北浦」の総称として大浜があり、中心にあった商業都市が『大浜』と呼ばれたそうです。
寺町は富の証
大浜地区は別名「寺町」と呼ばれます。狭い区域に多くの寺が存在します。寺は「お布施」で支えたれておりその根源は地域経済のはずです。「それだけ大浜は豊かだった?」とお尋ねしたら、石川先生も頷いていらっしゃいました。
大浜の山車
大浜は「上・中・下」に分かれています。何故「中にだけ山車があるのか?」と質問しましたら、三河全域が「山車の文化圏」でたくさんあるそうです。私の無知を恥じた次第です。

追記1 
040812 出かけたついでに、東浦町にある「乾坤院」を訪ねました。徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が晩年を暮らし入寂したところです。於大の方は戦国時代知多半島北部東側のあたりを治めた小豪族水野忠政の娘として生まれ、乾坤院は水野一族の菩提寺ともなっていました。
立派な伽藍を持つ寺院で、文化財もたくさんあるようでした。

追記2  「日本の城」で検索すると、たくさん出てきます。城マニアって多いんですね!

ふるさとにて
040812 aruitekuraserumatutukuri

ヒーリングガーデン入口

発電所が見える

ヒーリングガーデン全景(風力発電が見える)
上:ヒーリングガーデン内/下:エコパーク(野鳥園)
8月の11.12日、久々のふるさとを楽しんできました。
 ・碧南市史資料調査室訪問
 ・お墓参り
 ・野鳥園
目的は上記3ヶ所。今日は、野鳥園をご紹介しましょう。
碧南市の先端に、中部電力・碧南火力発電所があります。
電気事業者は「供給責任」を負わされますが、発電所設置は必ずしも歓迎されるわけではありません。
ここ、碧南でも紆余曲折はあったようですが「巨大な飴」で、設置にこぎつけたのでしょう。
碧南市が「豊かな自治体」であるバックボーンは、中部電力・トヨタ自動車・昭和シェル石油の存在だと思います。公害云々で「工場誘致」が揺れた時代もありましたが、世界に冠たる公害対策技術のお陰で、格別な公害もなく郷土は発展しているようでした。

碧南火力発電所を住民に認知してもらうため?に、情報公開施設「へきなんたんトピア」があります。
 ・電力館
 ・ヒーリングガーデン
 ・エコパーク(野鳥園)
3施設からなっており、市民の憩いの場となっています。ヒーリングガーデンでは、子供が水に入っていました。
ホンマ!暑いンヤカラ

エコパークは野鳥園になっており、冬鳥が随分集まるようです。でも、今は真夏で湿地帯は乾燥し、木道もちょっとちぐはぐな雰囲気でした。やはり、木道は湿地に浮かんでこそ雰囲気があります。湿地性植物も気息延々でした。
半地下式の観察舎からサギを見ることができました。アマサギかと思ったのですが、どうやらチュウサギの若鳥のようです。
今度は冬に来たいものです。
追記
関西電力美浜原発3号機で不幸な事故がありました。関電の不手際を責めることは容易ですが、苦しい台所事情を私は感じてしまいます。
ダイエーは、経営再建に際し産業再生機構の活用を迫られていますが、これは氷山の一角に過ぎません。関西電力4兆円、東京電力は10兆円の負債を抱えており、金利が1%上がるだけで「経営危機」を迎えます。電気事業法で供給責任を負わされていますが、営業保証を受けているわけではありません。長引く不況と省エネ技術の向上で、電気需要は減退の一方です。更には、太陽光発電の買電も義務付けられており「リストラの嵐」真っ只中にあります。そんなツケが、回り回って今回の事故に繋がったように思います。